ナポリピッツァの歴史
ciao‼︎
当ブログは、イタリア料理のアンティパスト、プリモピアット、セコンドピアット、ドルチェのレシピの紹介と、プロのシェフが使う、料理を美味しくする一手間、考え方、技法などを紹介するブログです。
今回はナポリピッツァの歴史について詳しくマニアックに書き綴ります。
(ナポリピッツァ)
まずは、我々日本人にとっても馴染みの深いピッツァですが、発祥の地は、イタリアのカンパーニャ州にある港町のナポリと言われております。
カンパーニャ州の有名な食べ物としてはピッツァの他に、パスタもあります。
ナポリから南東に20キロ程の所にグラニャーノという、街があります。
ここがパスタ発祥の地と言われております。
南イタリアの硬質小麦と強い太陽、山から湧き出る低ミネラルの天然水、ヴェスピオ火山とサレルノ湾から吹き込む少し湿った風が、まさにパスタ製造にとって最高の土地となったと言われています。
(グラニャーノで作られたパスタ)
ピッツァとパスタと言ったら、まさに日本人が思い描くイタリア料理ですね。
話しをピッツァに戻しますが、世界で初めてピッツァが作られたナポリでは、現在でも厳格に伝統的な製法を守ろうとしていて、「真のナポリピッツァ協会」という団体もあり、その団体が定めた作り方や、材料、窯の形等が定められ、明確な基準があり、ナポリ全体で伝統的なピッツァを守ろうと頑張っています。
ちなみに、日本人が良く使う「ピザ」はイタリアからアメリカを経由してアメリカナイズされて、日本に入ってきたもので、ナポリ人から言わせると全くの別物です。
本来「ピッツァ」は、生地の小麦の味、香りを楽しむ事が出来るくらいの、トマトソースや、その他のトッピングがあるべきだと考えていますが、「ピザ」は、生地を楽しむという考えは全くなく、トッピング重視で、生地はその具材をのせる単なる台の様な捉え方になっています。
僕もタイなどの東南アジアで、現地の人が作る寿司を見たときに、「これは寿司じゃない…。」「一緒にされたくない」と思ったけど、きっとナポリ人も、「ピザ」をみて、同様の事を感じていると思います。
その為にも、伝統を未来へ繋いでいく組織がある事は大事な事だと思います。
それでは、ピッツァの歴史ですが、ナポリにピッツァらしきものが、生まれたのは1660年頃と言われています。
この元祖ピッツァは、ラード、バジリコ、チーズのみと言う簡素なピッツァで、当時はこのピッツァの事を「マストゥニコーラ」と言う名前で呼んでいたと言われております。
ちなみに「マストゥニコーラ」とは、バジリコの事です。
それから、100年近く経った1750年頃になって、現在「マリナーラ」と呼ばれているピッツァが登場します。
現在では、マリナーラは、トマトソースにオレガノやニンニクがトッピングされていますが、当時はピッツァ生地に、トマトソースをのせてオイルをふっただけのシンプルなもので、名前も「オーリオ・エ・ポモドーロ(オイルとトマト)」と呼ばれていたと言われています。
このピッツァが歴史上、トマトを使った第1号のピッツァです。
それからさらに100年以上たった、1850年に「モッツァレラ・ポモドーロ・オーリオ」、トマトとモッツァレラとオイルをかけたピッツァが生まれます。
そして、これにバジリコがのった、誰もが知るナポリピッツァの代名詞でもある「マルゲリータ」が登場したのは1889年と言われています。
ピッツァと言ったら、「マルゲリータ」ですが、その歴史は130年程なんですね。
もっと歴史ある食べ物だと思っていました。
(ピッツァ・マルゲリータ)
「真のナポリピッツァ協会」の定める規約には、「すべてのピッツァにバジリコをのせるのが良い」とあるように、ピッツァとの相性は抜群で、バジリコとトマトが結婚した時、初夜を迎えたベッドはピッツァであった。という言い方もある程です。
まさにマルゲリータは、最高の素材の組み合わせです。
イタリア料理は、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、ドルチェ、カフェで構成されます。
(詳しくはこちらの記事を、イタリア料理のコースの構成を詳しく書いてみた - イタリアンが好き)
ただし、Cucina povera(貧しい庶民の料理)が根底にあるイタリアでは、コース料理は貧しい庶民が毎日口にできるようなメニューではありません。
だから、当初ピッツァは、「ピアット・ウーニコ(piatto unico)」、(一皿で済んで栄養価が高いもの)、つまり、コースのようにプリモだ、セコンドだという、形式張った食べ方ではなく、一皿でお腹がいっぱいになる手軽な食べ物としてナポリの人々に歓迎され、大流行したと言われております。
ピッツァの歴史を知ると、ピッツァを食べる時に一味違う美味しさに気付けるかもしれませんね。
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記事を書いた人
古瀬 要(ふるせ かなめ)
湘南のイタリアンレストランでシェフを務める。
その後、妻と二人で世界一周の旅に出る。 旅のテーマは“食と農業” 。
各国でCooking Schoolに通い、Farm Stayを経験する。
旅は順調に進むも、9ヶ月目に妻の妊娠が分かり帰国する。
旅を通して、色々な国で、働く人をみて感じた、日本人の様に仕事一辺倒にならずに、(日本の飲食業の勤務時間の長さは異常で、持続可能ではありません。)仕事も遊びも心から楽しみ、人生を謳歌するスタイルに共感する。
今は、「脱・日本の飲食業の常識」を胸に、自分らしく持続可能な働き方を見つける為に日々奮闘中。